BLOG然りげ無く
BLOGよろこびは足元にある

6

「健」とは「狂いがないこと」

季節の移ろい

お店の玄関前にある植栽マウンドの中にヤブデマリが2本植わっている。4年前に作ったマウンドで、1年目はとても元気に葉を茂らせていた。ところが2年目から葉を虫に食われるようになり、3年目などは夏の盛りにほとんど全ての葉が食われてなくなっている状態だった。周囲の草木は何ともない。2本のヤブデマリだけ。

そして4年目の今年、冬芽はつけていたものの心配していた通り新芽が伸びてこない。冬芽がそのまま枯れてしまっていた。「あぁ、枯れちゃったのかな…でもまだ枝は弾力があるし、がんばっているのかもしれない。少し様子を見よう。」そんな風に夫婦で話し合ってしばらくたった5月末、待望の新芽が顔を出していた。

これを見て安堵するとともに、ヤブデマリに何が起こっていたのかがよく分かった。ヤブデマリは古い自分を捨てて生まれ変わろうとしていた。よその土地から連れてこられて、植えられた新たな土壌に対応するために一生懸命体質を改善する営みをしていたんだ。

葉が全部虫に食われて丸坊主にされていたら一般的には病気に罹っていると判断される。しかし誤解を恐れずに言えば、病気というものは存在しない。病気と呼ばれる現象の本質は、汚れたものをきれいにする「クリーニング」と捉えることができる(より原義のニュアンスに近い英単語を選ぶならcleansingが相応しい)。体内の毒素や不要なものを体外に排出して体質を改善していく「自捨新生」の営み。人間だけでなくあらゆる動植物に備わっているこの営みを仏教的に表せば「観音は清浄の願を発す」となり、神道的に言うなら「ミソギハラヒ」となる。

人間は発熱して免疫力を高め、体内の毒素を循環機能を利用して体外に排出する仕組みを持っているが、植物にそれはない。代わりに、生命活動の妨げとなる物質を葉に集め、それらを虫に食わせることで体外に排出している。発熱にせよ虫食いにせよ、いずれも見ていて思わず心配になる現象ではあるが、このクリーニングがあるからこそ長期的に健やかに過ごせるようになる。

「健」とは何か。定義するなら「狂いがないこと」と言える。人間の身体の各機能、樹木の働きが狂いなく作動している状態を「健康」と呼ぶ。「病気」と言われる状態は確かに各機能が崩れているように見えはするが、その本質はクリーニング。生きている限り汚れは溜まる。それらを体内に留め続けるのではなく排出する営み。その営みまで含めて全体を俯瞰すると、水も漏らさぬ仕組みで正に「狂いなく」作動している。自然の仕組みや宇宙の運行、それらは正に「健」なのだ。

新たに伸びてきたヤブデマリの新芽はこの暑い6月の気温の中ですくすくと成長し、虫に食われた跡は全くない。店舗の南側に植えたヤマザクラも同じ状況を経て実に元気に成長している。きっと来年以降は目に鮮やかな新緑と見事な白い花をつけてくれることだろう。自然の営みの中で、自分たちも健やかに過ごしていきたいものだ。

RELATED

関連記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

PAGE TOP